旅が街を変える、横浜でオランダ発のビアバイクが走る理由<前編>

BEERBIKE(ビアバイク):オランダ発祥の移動式ビアカウンター
BEERBIKE(ビアバイク):オランダ発祥の移動式ビアカウンター

おとなのためのカルチャー講座「幻冬舎大学」が1月16日(日)、「ビールがエネルギー!『ビアバイク』が走る街・横浜とビールの“おいしい”関係」と題したイベントを開催しました。

同イベントは、日本ビアジャーナリスト協会副代表の野田幾子さんがナビゲーターをつとめ、横浜ビール広報ゼネラルマネージャーの横内勇人さん、NUMBER NINE BREWERY(ナンバーナインブルワリー)ブリューマスターの齋藤健吾さんをゲストに迎え、行われました。

横浜ビールとナンバーナインブルワリーの2社は「横浜をクラフトビールの街に!」をコンセプトに2021年、ビールを飲みながらペダルを漕いで走る楽しい乗り物「ビアバイク」に乗りながら、みなとみらいを疾走するイベントを開催しました。

今回のイベントでは、そのビアバイクのイベントを企画した横内さんと齋藤さんが「横浜でつくるクラフトビールの魅力」「ブルワリーがかかわる横浜の街づくりの工夫」「どのように周りを巻き込んでビアバイクツーリズムを実現させたか」など、クラフトビールと横浜の街の魅力を余すところなく語ってくれました。

この記事では当日の対談の様子の前編をお届けします。

登壇者プロフィールとブルワリーの紹介

左から野田幾子さん、横内勇人さん、齋藤健吾さん
左から野田幾子さん、横内勇人さん、齋藤健吾さん

野田さん:まずは私から自己紹介させていただきます。日本ビアジャーナリスト協会副代表を務め、ビアジャーナリスト、ビアアンバサダーとして活動しています。1996年に銀河高原ビールを飲んでから地ビールのおいしさに目覚め、周りに地ビールを普及する活動を始めました。その後、2010年に日本ビアジャーナリスト協会の副代表となり、これまでに企画・編集したビール関連書籍は共著含め10冊以上になります。直近では書籍『恋するクラフトビール』を監修しました。続いて、横内さんのこと、横浜ビールについて教えてください。

横内さん:横浜ビールは1999年に設立。桜木町と関内の間の馬車道にあるブルワリーです。オフィス街のビルの1階でビールを作っています。醸造の様子をガラス越しに見ながらビールを飲むことができるバーで、2階は100名以上が入ることができるビアホールになっています。神奈川県内の食材の生産者のところに赴き、肉や野菜など、地域に特化したものを提供するビアレストランを併設しています。横浜でもビールを作るブルワリーは増えていますが、横浜では一番古くからあるブルワリーです。

私は2016年に横浜ビールに入社しました。以前は食品メーカーで営業、マーケティングに従事しながら、全国の営業所に出張していました。出張で宿泊するたび、各地でビールを飲むようになりました。食品営業で2000種類以上の商品を扱うなかで、クラフトビールのように1つに特化して、地域ごとの特性があることにおもしろさを感じ、横浜ビールに転職することにしました。ビアバイクには、横浜ビールに入社するまでの約2か月の間にハワイに旅行し、出合いました。

野田さん:横内さんは横浜ビールの設立20周年に全体のリブランディングも手掛けられました。リブランディングのコンセプトもお聞かせください。

横内さん:私が入社したときは「地域に特化し、生産者を伝えること」をコンセプトとしていました。今も根本は変わっておらず、横浜ビールのスタッフは、ビールの原料となる小麦やホップ、果物などの生産者と一緒に種まきや収穫まで携わり続けています。私はそれまでのコンセプトに加えて、クラフトビールがスポーツや文化、音楽やアートなどとのハブになれると感じていたため、毎月1回のランニングのイベント「横浜ビールランニングクラブ」を実施するなど、ビール × ○○といった、ビールを通してワクワクする企画や活動を行うようにしました。

野田さん:続いて、齋藤健吾さんです。齋藤さんとナンバーナインブルワリーについて教えてください。

齋藤さん:ナンバーナインブルワリーは、横浜・みなとみらいのハンマーヘッド1階と2階にあるQUAYS pacific grill(キーズ・パシフィック・グリル)というレストランのなかの1階に、2019年10月31日にオープンしたばかりのブルワリーです。

私は醸造責任者としてビールを造っており、ビール造りのコンセプトとして”refreshing and drinkable”を掲げています。QUAYS pacific grillはレストランとしては珍しく、コーヒーの焙煎やジンの蒸留をするほか、バーも2つあり、カクテルやワインなど、いろいろなお酒も扱っています。そのため私がつくるビールを飲むだけではなく、ビールを飲んだ後にお客様が感じる次のステップとして「こんなに香りがいい飲みやすいビールがあるんだ」「ジンも飲んでみよう」などと思っていただけるような「最高のスタータードリンク」としてのビールを造りたいと思いながら醸造しています。

次に、なぜ私がブルワーになったのか、お話しします。私は前職はクッキーを作る仕事をしており、ビールにも興味はありませんでした。今の仕事をするまではよく転職もしていて、たまたま神奈川県で湘南ビールを造っている熊澤酒造に転職することになりました。そこで飲んだインペリアルスタウトに「こんなビールがあるのか!?」と衝撃を受けたんです。今でも忘れられないのですが、鼻に抜けるホップの香りがよく、濃厚でリッチな風味でした。すぐさま「ここでビールを造りたい!」と思い、会社に伝えましたが、そこではかなわず、千葉県のイクスピアリにあるハーヴェストムーンに転職し、そこで10年間ブルワーとして学びました。

その10年間で、姉がニュージーランドに住んでいたこともあり、何度かニュージーランドを行き来しているうちに、環境や人柄が素晴らしい国だなと思い、ニュージーランドでもビールを造りたいと思うようになりました。そこで、妻にも相談し、ハーヴェストムーンを辞め、単身ニュージーランドに渡ることにしました。ニュージーランドでブルワーとして活動したのは1年間でしたが、はじめはコネもないため、履歴書をもって、ブルワリーを1件ずつ「日本から来たブルワーです。雇ってくれませんか」と話して回りました。当時は英語もできず、空港で”departure”ってどういう意味だろうと辞書で調べるくらいでした。そうして動いているうちに「変な日本人がいるぞ」とクラフトビール業界で噂になり始め、ある一つのブルワリーで無給で働くことを許され、そこで掃除をしたり、ブルワーとして働くことになりました。

その後、オーストラリアでビール工場を経営しているニュージーランドの人がホリデーでニュージーランドに戻り、工場のスケールを大きくするためにヘッドブルワーを探しているときに私の名前が出たようで、その機にオーストラリアに渡り、2か月ほどトライアルで働きました。そして、いざ契約という段階でビザの申請のために日本に戻ったとき、母が大病を患ってしまい、オーストラリア行きをあきらめ、日本で自分でビールを造ることができる会社を探して3年ほど転々としながら、ナンバーナインブルワリーのヘッドブルワーとして働くようになりました。

横浜ビールとナンバーナインブルワリーのおすすめの1本

野田さん:濃い人生を歩んでおられるなと思わされるお話を聞かせていただきました。そんなお二人から1本ずつ、おすすめのビールをご紹介いただけますか。

横内さん:横浜ラガーです。2020年12月に缶ビールとして発売し、横浜ビールではフラッグシップかつ一番人気のビールです。ラガースタイルですっきりしていながらも、ホップをたくさんいれているため、苦味もガツンと感じられるインディアペールラガー(IPL)です。

横内さんから横浜ラガーの紹介
横内さんから横浜ラガーの紹介

齋藤さん:ハンマーヘッドエールです。ナンバーナインブルワリーのフラッグシップのビールで、スタイルはニュージーランドペールエールといいます。新しくスタイルガイドラインに加えられたこともあり、聞きなれないスタイルかもしれません。ニュージーランド産のホップを大量に使っていて、アルコール度数は4.0%。フルーティーであまり苦くないものの、モルトのトースティーさが感じられる1本です。

齋藤さんからハンマーヘッドエールの紹介
齋藤さんからハンマーヘッドエールの紹介

野田さん:齋藤さんからはニュージーランドにちなんだビールをご紹介いただきましたが、横浜ビールのラガーにも実はニュージーランド産のモトゥエカというホップが100%使われています。ぜひニュージーランド対決で飲み比べていただければおもしろいのかなと思います。

横浜ビールの横浜ラガーと横浜ウィート、ナンバーナインブルワリーのハンマーヘッドエールとヘイジー
横浜ビールの横浜ラガーと横浜ウィート、ナンバーナインブルワリーのハンマーヘッドエールと#9ヘイジー

ビールと街づくり

野田さん:ここからはビールと街づくりということで2つの地域をご紹介します。1つ目は岩手県遠野市です。今はキリンビールが提携し、遠野でつくられたホップを使っています。遠野市はもともとホップの生産地として知られていますが、もっとホップを知ってもらおう、ビールを楽しんでもらおうということで、グリーンツーリズムやアグリツーリズムなどの取り組みが盛んです。2021年に「TONO JAPAN HOP COUNTRY(遠野ジャパンホップカントリー)」とリブランディングされ、ホップの生産が盛んな北海道の人と一緒にホップを収穫するイベントや、マウンテンバイクで遠野を散策し、遠野物語や河童に代表される遠野の伝承を楽しみながらビールを楽しむ取り組みが行われました。「ホップの里からビールの里へ」というキャッチコピーがつけられています。

2つ目は京都府与謝野町です。こちらはフリーランスのホップ農家が集まって、自分たちがつくりたい品種のホップを作っているのが特徴です。京都府とともに、京都産ホップや京都産大麦、京都でみつけた酵母などを使った、京都産原材料100%のビールをつくろうと活動しています。「ホップのまちからビールのまちへ」のキャッチコピーでビールを造る、かけはしブルーイングさんがあります。

2つの街には「原材料のホップがとれる街」という共通点があり、原材料を街づくりに活かしています。しかし、今回ご紹介する横浜は、ビールに直接関わる要素以外を街づくりに活かしているということでお話を伺っていきたいと思います。横内さん、ビアバイクについて聞かせてください。

横内さん:BEERBIKE(ビアバイク)は、オランダ発祥の移動式ビアカウンターです。オランダ人が好む自転車とビールを融合した乗り物として生まれました。複数の人数でペダルを漕いで動かします。運転席はハンドルとブレーキだけを備え、エンジンもペダルもついていません。

BEERBIKE(ビアバイク):オランダ発祥の移動式ビアカウンター
BEERBIKE(ビアバイク):オランダ発祥の移動式ビアカウンター

現在は、オランダ、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ブラジル、オーストラリア、アメリカ、ハワイなど、世界各国のビール大国20か国以上で走っています。ビールを飲みながらほかの参加者とペダルを漕いで、車と並んで公道を走るのですが、一人ではなく大勢で走ることで一体感があるのと、公道をビアバイクで走ること自体に非日常感があります。

世界では、コスプレをしながら乗ったり、結婚した人と同じ服装で参加者がお祝いするなど、さまざまな形で楽しまれています。また、街ごとに異なる特色に触れられるのも魅力で、たとえばイタリアでは歴史的建造物、ハワイでは海沿いの散策など、景色や文化、人とのつながりを感じることができます。

横内さんとビアバイクとの出合い、ビアバイクが横浜で走るまで

ビアバイクが走るようになるまでを語る横内さん
ビアバイクが走るようになるまでを語る横内さん

横内さん:横浜ビールに転職するまでの2か月、妻や両親と一緒にハワイに旅行することにしました。そのとき、私がビール会社に転職するということで妻がビアバイクを予約してくれていました。まだそのときはビアバイクを知りませんでした。

ハワイは外でお酒を飲むことができないため、ビアバイクツアーはビールが飲める場所を3か所巡る内容だったのですが、参加者と1か所寄っては少し酔いながら漕いでいるうちにだんだん打ち解けて仲良くなり、終わるころには高齢の両親も今までみたことがないくらいの笑顔になっていて、日本語で「飲みに行こう!」と他の方に声をかけるほど盛り上がっていました。

両親がこれほど笑顔になり、言葉の壁も超えてコミュニケーションをとってしまうほどの出来事だったこともあり、これはすごい乗り物だなと思い、いろいろな人に乗ってもらいたいと思いました。そこで6年前に横浜でやろうと横浜ビールにかけあい、映像や画像などを交えて説明したのですが、イメージを伝えきれませんでした。

横浜ビールの入社時は配達や注文書などの事務に携わっており、配達をするときに「この道はビアバイクで走れそうだな」などとイメージしながら走っているうちに、今回の会場のmass × massの2階がシェアオフィスだと知り、1人でビアバイクの会社を立ち上げようとオーナーさんに話したところ、やってみたらということでシェアオフィスに入ることになりました。

mass × massにはスタートアップで事業をされている方が集まっていたので、ビール会社にいながらビアバイク事業をやりたいという構想を話したり、クラフトビールの楽しさを伝える飲み比べのイベントを実施するなどの活動をしていました。

その後、ビアバイクについていろいろ調べていくうちに、日本では鹿児島県のイベントでビアバイクが走ったことがあることを知り、休暇をとって鹿児島に行き、実際に運行した会社に連絡して見せていただき、ハワイと同じ形のものだとわかりました。その会社は飲食店チェーンを展開していて、社長がドイツに仕事で行ったときにみつけ、輸入したとのことでした。また同じころ、YouTubeでビアバイクをゼロから作っている動画を見つけました。大阪にある林業などを手掛けている会社で、連絡をしたところ、製作者が宮崎県にいるとのことで紹介されました。

実は父が宮崎県の出身で、そのビアバイクを城下町でつくったと聞いたため、「日南市の飫肥(おび)ですか」と聞いたら、そうだというので驚きました。私は毎年飫肥に行っており、製作した方も父と同じ小学校だったんです。すごく感動しました。もう一度Youtubeの動画を見返すと、見覚えのある風景であることに気づきました。2018年ころのことでした。

その後もどうにかしてビアバイクを走らせたいと思い、製作者と連絡を取り続けていたころ、横浜の日本大通りで、カーフリーデーというイベントがあることを知りました。このイベントは道路に車以外の乗り物や人が通ることに焦点をあてていて、mass × massでイベントに関わっていた人に教えていただいたことをきっかけに、ビアバイクを走らせてみたらとお声がけいただき、先ほどの大阪の会社にお願いをしたところ、横浜でビアバイクを走らせられるのならということで、社長が20名くらいの社員とビアバイクを引き連れて、無償で来てくれることになりました。

野田さん:「楽しい!走らせたい!」という横内さんの気持ちといろいろなご縁がつながってビアバイクが走ることになったんですね。ビアバイクを所有していた方や作った方もビールに直接のつながりがあるわけではなく、楽しいという理由からだったことにも驚きました。

横内さん:このイベントで、横浜ビールのメンバーにも乗ってもらってようやく「これはおもしろい!」と伝わりました。

野田さん:体験してもらうことではじめておもしろさが伝わったんですね。

横内さん:はい。このときの様子は新聞記事にも掲載されました。それを読んだ伊勢佐木町のある地主の方が横浜市にこれを走らせたいと連絡したそうなんです。連絡を受けた都市整備局の方もちょうどビアバイクのことを知り、街で走らせたいと思っていたタイミングで、私に連絡が来ました。その後、伊勢佐木町と元町でビアバイクを走らせることになりました。

さらに横浜市からmass × massに、横浜の夜のイルミネーションやナイトタイムエコノミーで楽しむ企画の一環でビアバイクを走らせてみないかと連絡があり、ヨコハマミライトというイベント期間中の2020年2月8日と9日にグランモール公園で走らせました。ちなみにこのときに使ったビアバイクは兵庫県の神姫商工という自動車関連の企業が、先ほどの宮崎のビアバイクの製作者に教わって作ったもので、日本でつくられた2台のビアバイクのうちの1台でした。ちなみに輸入したものを含めると日本にあるビアバイクは6台だったかと思います。

【関連ページ】横浜ビール
【関連ページ】NUMBER NINE BREWERY(ナンバーナイン・ブリュワリー)
【参照ページ】【幻冬舎大学】大人のためのカルチャー講座|幻冬舎編集部 – 幻冬舎plus
【参照ページ】日本ビアジャーナリスト協会
【参照ページ】TONO JAPAN HOP COUNTRY(遠野ジャパンホップカントリー)
【参照ページ】横浜のシェアオフィス・コワーキングスペース | mass×mass

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秋山哲一

Webマーケティング会社入社後、サイト制作、Web広告運用、SEM施策、コンテンツライティングなどに従事。旅行好きも手伝い、ツアー会社のサイト運営や民泊・インバウンド関連のメディアの編集なども行う。旅先に酒造があれば立ち寄ることも。黒ビール好き。

よなよなの里